卒寿にして初めてまとめた第一句集

 

句集 望峰

戸田幸四郎/著

定価2,200円(本体2,000円+税10%)
四六判・上製
212ページ
ISBN 978-4-906740-70-3 C0092

融通無碍の境地、まさに自由自在な詩境

  • 「百幹は葉に別れ告げ冬支度」―この句から始まった戸田幸四郎さんの俳句の旅は、いま「百幹の影絵遊びや残る雪」に至る。風土と歳月とともに、融通無碍の境地を得たひとりの俳人の、これは美しいクロニクルである。 五十嵐秀彦(現代俳句協会評議員)
  • 定年退職後、第二の人生の趣味として句作を始めた著者。以来、四半世紀にわたり続み続けた句を、卒寿を機に初めてまとめた第一句集。
  • 北海道の風土に向き合う「風土詠を中心に、虚心に自然と向かい合う姿勢と、そこに無理なく主観をにじませる」句には、「全篇を通して、少年期を過ごした羊蹄山麓への懐郷の情が一本の太い綱を綯うように繋がれてゆく」。「融通無碍、まさに自由自在な詩境がここにある」(五十嵐秀彦「序文」より)。

自選十句

石狩の 野に吹く風や 蕨摘む
嫁ぐ子と 同じ齢の 雛かな
草餅や 手に柔らかき 母の色
天涯へ 声を合はせて 帰雁かな
観劇を 出てモスクワの 白夜かな
羊蹄山の 懐に入り 清水汲む
百幹は 葉に別れ告げ 冬支度
漱石と 会ひたる思ひ 山すみれ
幾たびも 吉井の歌碑や リラ祭り
南仏の 空にゴッホの 愁思かな

目次

序文 五十嵐秀彦

百 幹 2001~2005年
羊蹄山 2006~2010年
帰 雁 2011~2015年
青芥子 2016~2020年
残 雪 2021~2025年

あとがき

前書きなど

 65歳まで殆ど無縁であった俳句の世界へ入ったきっかけは、書斎の脇机に置かれていた講談社の『日本大歳時記』(1996年版)です。これは、退社する数年前、会社同期の古川斉彦君から贈られたもので、折に触れ開いていたことから、多少俳句というものに馴染んでいたのでしょう。その上、身近に道新文化センターがあり、俳句講座の先生が、道内俳壇のリーダーでもあった木村敏男先生でしたので、定年退職を機に迷わずその教室へ入ったのです。
 教室で2年間の受講を終えてから、教室の同期3人と一緒に、椎名智恵子先生が主宰する俳句結社「澪」に入会しました。「澪」は会員約80余名の大きな俳句結社でした。例年1月に開かれる「澪俳句大会」は、木村敏男先生ほか来賓の諸先生を迎えた盛大なイベントですが、この大会には大いに刺激をうけました。
 俳句を始めて3年後の2004年の秋、NHK列島縦断俳句スペシャルというイベントがあり、北海道は札幌のモエレ沼公園が会場でした。選者は中央俳壇の中原道夫先生と椎名智恵子先生で、兼題は「冬支度」。この時、計らずも自分の次の一句が優勝の栄に浴し大変驚きましたが、このことが俳句を続けてゆく力になったのかも知れません。

百幹は葉に別れ告げ冬支度

 俳句は、僅か17文字の詩ですが、60の手習いの自分には勿論、簡単なことではありませんでした。しかし、続けていますとその奥深さ、楽しさに興味が湧いてきて、結局、振り返ると20年以上にわたり句を詠んできたことになります。
 俳句生活の後半には、句友に誘われ、「青のフロント」と「itak(イタック)」の句会に入り、主宰の五十嵐秀彦先生に師事いたしました。
 この世界に入って、何よりも良かったと思うことは、木村先生ほか先達の諸先生方、そして多くの句友の皆さんとの交流です。句会のほか、四季折々の自然の中を歩きながら句を作る吟行会も楽しい一時でした。俳句にかかわるすべての時間が、自分の人生にとって貴重な時間であったと思います。改めて、皆様に厚くお礼申し上げます。

(「あとがき」より)

著者プロフィール

戸田幸四郎(とだ・こうしろう)
昭和10年(1935)川上郡弟子屈村(現弟子屈町)生まれ。同16年岩内郡小沢村字国富(現共和町)へ移住。同25年札幌へ移住。同33年北海道大学法学部卒業。平成13年(2001)北海道新聞社退職後、北海道新聞文化センター俳句講座入会、木村敏男先生、椎名智恵子先生に師事。俳誌「澪」入会。同16年「澪」同人、俳誌「にれ」入会。同20年北海道俳句協会会員。同24年「青のフロント」「itak」各句会入会、五十嵐秀彦先生に師事。