2016年4月20日全道主要書店で発売

 

あの頃、俺たちは事件記者だった

錦織俊一・亀山良三・林芳朗・合田一道/著

本体1,500円+税
四六判ソフトカバー
232ページ
ISBN 978-4-906740-19-2 C0095

たぎる若さぶっつける!昭和三十年代、霧の町・釧路事件簿

高度成長期前夜、事件記者として釧路で激烈な報道合戦を闘った四人の男たち──。
夜ごと酒亭で語り合った熱き時代の記憶を、数々の事件とともにつづったノンフィクション。
▲当時の北海道新聞釧路支社

目次

老いのたわごと──はじめにかえて

あの頃、俺たちは事件記者だった Ⅰ
こわいもの知らず  錦織俊一

あの頃、俺たちは事件記者だった Ⅱ
多様な死と向き合う 亀山良三

あの頃、俺たちは事件記者だった Ⅲ
公平性と人情のはざまで 林 芳朗

あの頃、俺たちは事件記者だった Ⅳ
くぐり抜けた修羅場の数々 合田一道

あの頃、俺たちは事件記者だった Ⅴ

▲記事のスクラップ

座談会── 錦織俊一+亀山良三+林芳朗+合田一道
四人の略年表

老朗快語──あとがきにかえて

前書きなど

 なにをいまさら、と思わぬわけでもない。……でもなぜか、書こうじゃないかという話になり、意見が一致したのである。……私たち四人が「事件記者」としてともに歩んだのは、昭和三十年代半ばから後半にかけて。北海道新聞釧路報道部の事件担当という部署である。……抜くか、抜かれるか。いつも他社との競争だった。闘いが一段落すると、よく安酒場に出かけた。懐具合も気にせず、「抜いた」といっては飲み、「抜かれた」といっては飲んだような気がする。……なぜ、あんなに燃え上がることができたのか、といまにして振り返ると、やっぱり青春だったんだなぁ、と思う。(「はじめにかえて」より)
▲筆者たち

著者プロフィール

錦織俊一(にしごおり・しゅんいち)
 昭和9年(1934)8月、釧路管内弟子屈町生まれ。昭和33年、早稲田大学卒。同年北海道新聞社に入社し、釧路支社整理部へ。同36年3月、報道部に移り、警察担当に。昭和40年、東京支社社会部に転勤、その後、政経部へ。福田首相の中東諸国歴訪に記者団長として同行。昭和58年、UHB北海道文化放送「テレビ道新6・30」のニュースキャスターを5年間務める。昭和63年、道新を退社して北海道文化放送報道制作局長に。後に専務取締役。

亀山良三(かめやま・りょうぞう)
 昭和8年(1933)6月、樺太豊原市生まれ。昭和22年1月、樺太真岡から引き揚げ。昭和31年、中央大学卒。同年9月、北海道新聞社に入社し、釧路支社報道部警察担当に。札幌本社社会部へ。「心臓移植」を担当。昭和61年5月、東西ベルリン取材。昭和63年8月、留萌支局長の時、留萌大水害発生。平成2年(1990)11月、豪州ソーラーカー取材。平成5年9月、北海道新聞退社。翌年から平成14年までFM北海道でニュース原稿リライトの嘱託。

林芳朗(はやし・よしろう)
 昭和10年(1935)1月、滝川市生まれ。昭和35年、小樽商科大学卒。同年北海道新聞社に入社し、釧路支社報道部勤務となり警察担当に。昭和44年に本社政経部から東京政経部へ。主に野党を担当。再び本社政経部、美幌支局長を経て、昭和56年、東京政経部次長。その後函館支社報道部次長、本社論説委員、帯広支社報道部長、本社地方委員を務める。平成3年(1991)に販売局次長、平成5年に小樽支社長。退社してUHB北海道文化放送監査役に。

合田一道(ごうだ・いちどう)
 昭和9年(1934)1月、空知郡上砂川町生まれ。北海道新聞社に入社し、帯広支社編集部から釧路支社報道部勤務に。昭和35年春、警察担当キャップになり、4年間勤める。室蘭、旭川支社報道部次長を勤め、UHB北海道文化放送に出向。復帰後、編集委員を務め、世界20余カ国を回る。退職後、札幌大学文化学部などの講師に。在職中からノンフィクション作品を発表。主な著書は『日本史の現場検証』『日本人の遺書』など。